ストレスと生きて来た私のプロフィール

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私はこれまでの人生を振り返ってみると、ストレスと一緒に生きてきた感じがします。

私は幼少の頃から花粉症でした。
小さい頃から患っていたので、私にとっては普通の事だったのでした。

それが当たり前ではないと気付いたのは高校生の頃だったでしょうか。

実は花粉症だけではなかったのです。
同じ様にストレスも、

ストレスは私の運命なのだと、最近やっと気づきました。

ストレスがあるとどうしても健康を維持していくのが難しい時があります。

このサイトは、私同様、ストレスを感じている方に参考にしてもらいたいと思い作成しました。

多くの方の健康に役立たんことを願っております。
 

以下、私のプロフィール等を記します。

 



 

 

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年齢

子供たちが大きくなったのは感じていても、自分がいつの間にか中高年になってしまったのは気づき難いものです。

でも、明らかに年を取り抱えるものが変わって来ました。

人は若い時には無謀なことが平気で出来てしまうのは、
”人生長いのだからなんとかなる”と楽観的な考えがどこか心の中にあるからなのでしょうね。

今の私の状況を考えると、昔、教科書で習った井伏鱒二の小説、”山椒魚”を思い出します。

過去の過ちにより、現状から逃れられなくなってしまった。
そんな苦々しさを感じています。

 

性別

私は長男です。妹がいます。
今思えば、私は妹が羨ましく思っていたみたいです。

妹は天真爛漫でした。
あまり親から叱られることがありませんでした。

それに比べる私は殴られ蹴られ、家を追い出され ・・・

若い時の多くのストレスは親からのものでした。
もし、私が女だったならば、もっと楽だったのではないかと思います。

 

家族

現在、息子との二人暮らしです。
この息子が私にとって悩みの種です。

それに全然、連絡をよこさない娘がいます。

子ども達が小さかった頃は楽しかったです。
今は寂しい限りです。

伊豆の海での思い出

 

出身地

私が生まれたのは東京都文京区
日曜日でも工場が動いていて、喧しい町でした。

小学校5年生まで過ごしました。

ませていた子供だったと思います。
子供たちだけで繫華街に行って暗くなるまで遊んでいました。

不良では決してありませんでした。当時、それが普通だったのでした。

 

現在の所在地

以前、私は東京で働いていました。
東京は夜は色とりどりのネオンが綺麗ですが、昼間は灰色のコンクリートばかりです。

私は息苦しさを感じて、縁もゆかりもない静岡県に移住したのでした。

移住には、もの凄いストレスがありました。

でも、静岡県は海も近く、富士山もあります。
普段の生活で見る風景がとても癒されます。

秋空の富士山

 

他に住んでいた所

私が現在、暮らしている静岡県では、郷土愛が強い人が多いです。

気候も温暖、自然が豊か、美味しい物が多い
・・・と満足気に語る話をよく聞きます。

静岡県でのある日の夕日
 

でも、一方、静岡県以外では暮らしたことがないという人も多い印象も受けます。

他の県を知らないので、” 静岡が一番 ”と思いがちな点もありそうです。

私の様に他県で暮らしたことがある者にとっては、美味しい物が多いとは思えません。

でも、ストレスという点では、暮らしい良い県だと思います。
確かに穏やかに暮らしたいという人には向いている気がします。

以下、私が暮らしたことがある他の県の概要をまとめます。

 

千葉県

私は幼少の折、母親が他界しました。
その為に母親が入院している頃から、たらい回しの様に親戚に預けられました。

私は幼い時からストレスの中で育ったのでした。
その親戚の中に千葉県がありました。

親戚は主に都内だったのですが、千葉県の伯母さんの家にも預けられた事があります。

その伯母さんには一番、迷惑をかけました。

一日の内、二度も迷子になってしまった事があります。

二度目は自分の意志で知らない方に歩いて行ってしまったのでした。

子ども心に千葉県は遠いと感じたのでしょう。

塀と塀の間に狭い隙間がありました。
日が暮れだす頃だったでしょうか、そこを抜けて行けば、帰れる気がしたのです。

夜になっても私は一人、泣きながら歩き続けたのでした。

泣きながら歩いた夜の街

そんな事があったので、私は伯母さんの所にはいられなくなったのでした。

 

埼玉県

小学校6年生になる頃、文京区から埼玉県に引っ越しました。

私の家は県南にありながら、県北の高校に通いました。
親の意向が強かったのでした。

おかげで学校が終わると早く帰らなければならなかったのでした。
友達もあまり出来ず、高校時代は楽しい思い出はなかったです。

 

兵庫県

20代の頃、大阪へ転勤になり、兵庫県の会社の寮に引っ越しました。

カルチャーショックを受けました。
関東と関西ではあらゆることが違っていたからです。

 

大阪弁で、”いらち”という言葉があります。
直ぐにイラつく人を指します。
こんな言葉がある通り、関西では、いらちの人が多かった気がします。

周りにいる人はプレッシャーを受けるわけです。

いらちの人からのプレッシャー
 

私は9年近く、関西で働いたのですが、今思うと、寂しく暮らしていた気がします。
 

会社の寮からは六甲山が見えました。
関西では都市部から自然が近いです。
とても癒されました。

寂しい思いから脱したいと思いながらも、無味乾燥とした東京には戻りたくないと思っていました。

 

兵庫県在住の間に阪神淡路大震災が起きました。
大変な思いをしました。

 

神奈川県

ところが、東京勤務に戻る事になりました。
住んだのが横浜の寮でした。

横浜駅には歩いて行ける場所にありました。
都会を楽しむにはうってつけの場所でしたが、私はそんな気にはなれませんでした。

目にするものは雑踏と灰色のコンクリート
私は息苦しさを感じていました。

でも、それだけでは、私は東京から逃れる事はしなかったでしょう。

東京脱出は妻の意向でもあった訳です。

 

現在の仕事

Iターン転職した静岡県の会社はストレスいっぱいの会社でした。

退職者が多かったです。
それだから私が転勤できたのでしょう。

毎日の様に色々なことが起きてスリリングな会社でした。

5年間は頑張りましたが、退職

その後、自営業となるのですが、自分で仕事をするというのは、かなり大変です。

サラリーマンでは経験したことのない不安を抱える事になります。

 

現在、自宅で仕事している時が多いのですが、我が家は天井が高いので圧迫感がありません。
一日、家に籠っていられます。

その点はありがたいと思っています。

 

ここまで読んで頂いてありがとうございます。
以下は、私への通信フォームです。

ご返事することは出来ませんが、何かありましたら、下記フォームよりご連絡下さい。

 


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